聖徳太子の存在感について

1400年続く聖徳太子の法要を見に四天王寺に行ってきました。四天王寺は国民の幸せと平和のために聖徳太子が建てたそうで、日本初の仏教寺院だそうです。

聖徳太子の生涯を描いた絵の飾られている絵堂で僧侶が解説してましたが、

600年の遣隋使は散々にバカにされて帰ってきたため、聖徳太子は7年で律令制や冠位十二階などを整え、日本を世界基準の国家に仕上げ、それを体現した小野妹子を607年に遣隋使で派遣します。

そこで有名な、日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に〜となります。

天子は世界で一人だけなので、日本の方が格上の天子である、という書面を持たすということは、小野妹子が首を切られて攻め込まれても仕方ない内容です。

世界史的にもどうやら中国の皇帝をバカにしたのは聖徳太子くらいのようで、煬帝は怒り狂ったそうですが、ちょうど高句麗と戦争をしていたため、戦艦を作って攻め込む余裕などない時期だったそうで、高句麗を攻めている時に裏をかかれないよう、日本をとりあえず味方につけるしかなかった模様。

聖徳太子はその時期を狙って遣隋使を派遣したそうで、ものすごく能力の高いサラブレッドの聖徳太子、さすがだと思います。

遣隋使とともに隋から役人などもたくさんきたそうで、そのようにして平和的に独立国家となりました。

また、宗教戦争はやめて、全てを受け入れることに国として決めたようです。

ちなみに聖徳太子の子孫達は和を持って尊しだったため、蘇我入鹿に勢力争いに巻き込まれた時に、国が真っ二つに別れてしまうことを憂慮し、一族全員が自殺したそうでした。大化改新が起きたのはその罰が降ったためとのこと。

聖霊会の法要にもその精神があらわれていて、朝鮮由来の右舞と大陸由来の左舞など異文化を取り入れ、日本的な舞も入れ、菩薩、極楽を表現したものでした。当時から日本では平和を大切にしてきたことがわかりました。


また、飛鳥寺に聖徳太子が奉納した大仏があります。


様々な史実の根拠がない捏造を、日本人は何千年も崇めないはず。歴史を記す時も、誇張や解釈の違い、表現の違いこそあれ、全くなかったことは日本人の遺伝子的に書けないと思うんですよね。

なぜ、今になり、聖徳太子はいなかったという説が出るのか。

法隆寺も聖徳太子が建てたもの。それも無かったことにする、というのは、逆に捏造が得意なあちらの発想のような気がます。

お太子様の石碑も、弘法太子並みに全国にありますが、それらが全て捏造かっていうと、弘法太子が慕われて全国に出現したように、お太子様も国民的アイコンとして各地に出向いたので、馬鹿でかく重たい石碑がいちいち建てられているわけです。

そんな石碑、お金かかるし、石工も必要だし、嘘ついてまで建ててたら、村で恥ずかしくて生きてけないし、そんな変な名士、いたのかなと思ってしまいます。


中国の皇帝を下に見た宣言をし、属国から逃れて日本建国の楚を築いた聖徳太子が架空の人になれば、日本は独立国家だったという記憶も薄れ、200年もしたら属州になるから、今のうちに血を流さずに独立を成し遂げた日本人の先祖の記憶を抹消しておこう、としか思えません。



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by tamitamix | 2017-04-23 10:16  

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