伯父のこと

先日、伯父が亡くなりました。思い返せば亡くなった翌朝、私の寝ている隣の部屋で人の気配がしていました。とても暖かい雰囲気で、ずいぶん長くいたので、家人かと思ったのですが(もしくは私が風邪で何日にもわたり夜中に何時間も咳をしているのを心配して家人の霊体がついに抜け出て隣の部屋に居座ってしまったのか、と)、家人はその頃、寝ていたそうなので、誰だったのだろうと思っていました。全然怖くなくて、本当に、春の日のお日様の暖かさのようでした。ずっと見守っててくれました。

亡くなる前日には、私は出張の準備をしていて、あ、伯父さんに会いに行かなきゃ、と思ったのでした。会えなくなっちゃう、7月の休みはこうだから、と、頭を巡りました。一瞬思ったその微細な感覚が、もっと言語化出来ていたら、と思います。

でも、伯父さんが来てくれたのがわかったので、その辺は、祖母の時に勝手に足が祖母の家の路線に向かうなどして呼ばれていたのにそれを気のせいだ、疲れているに違いない、と無視してしまっていた自分よりも、よかったなと思います。それでも会いに行かなかったのが悔やまれますが。

その後もなんとなく暖かい雰囲気がして、伯父さんが来てるのかなと思ってました。その魂の暖かさの前には、どのような言葉も不要でした。何かものを考えることは、その瞬間から幻影でしかないのです。魂の存在する次元は愛というのか、その本質以外は、思考という名のチリかホコリが積もっているに過ぎないのだと実感しました。

伯父さんとは楽しい思い出ばかりです。もう感謝しかありません。神保町の神田村なんたら亭といったか、戦前あたりに中国で本屋をやってたオヤジさんが店主だった赤提灯の飲み屋の話とか(その頃は焼酎が飲めなかったので、お店が開いてたのは見たのですが行けませんでした。この間みたときは、もう看板や提灯は見当たりませんでした。)、目黒の周恩来などの来ていた中華のお店や、そこに行く前に寄るのだけどなぜか伯父さんと通りかかる時は閉まっているとんかつとんき(改装前の話です)とか、世界中の誰もが今でも愛してやまないとあるおもちゃにまつわる仕事の話とか、何を思い出しても楽しくて、仕方ないです。お話が面白くて優しくて心地よく、広く人に好かれる伯父さんだったのだと改めて離れて見てみることでわかりました。


伯父さんは仏みたいな寝顔でした。伯父さんならばきっと安らかであろうと楽しみでしたが、その通りだったので安心しました。そしてやはり来てくれたのは伯父さんだったと確信を持ちました。お通夜の時は伯父さんは古い知り合いがたくさん来てくれるとますます感謝しているようで、より一層、あたりが輝いて暖かくなるのでした。

翌日の9日目は告別式でしたが、もうどこかに行ってしまったのか、私がお酒を飲み過ぎてわかんなくなったのかはわかりませんが、気配がしませんでした。お経が何か影響あるのか、この世で自由に行き来できるタイムリミットが来たのか、私が知覚できる粒子よりも微細な波長の存在になってしまったからなのか、そこまではわかりませんでした。

父と伯母と昔住んでいたという場所を少し歩きました。よく遊んだという高台の神社なども行きました(伯母は、お兄ちゃんの後なのに、神様いいかしら、ごめんなさい、と呟いていました。喪中に神社に行ってはいけないことをつい最近知った私でしたが、戦前の教育はちゃんと一般の少女に至るまで霊的な面も行き届いていたのだと、ハッと驚きました。ちなみに伯母達は言葉に関しても、言霊とは言わなかったものの、悪い言葉は使ってはいけない、自分に返ってくるから、と、周りの大人達から強く言われて育ったようです。)。その神社や遊び場だった高台は、今では周りにビルが建ってしまいましたが、かつては東京の街が一望でき、空襲の時も遠い空が赤くなって爆撃されているのが見えたそうです。

5人兄弟の末っ子だった父はどうやら様々な人から愛されていたようで、父の母方の親戚や、ご近所だった皇族のおばちゃまから養子に来ないかと言われていたようでした。父方の祖母は入院した晩年には小学生だった従兄弟を父と間違えていたようですが、小さかった頃の印象が強かったのだと思います。

祖父が早く亡くなってしまったため中学生で家長になった伯父でしたが、そんな父を伯父はとても可愛がってくれていたのが今回よくわかりました。

父も戦後の厳しい頃に、自立して頑張らねばと幼い頃に強く思ったのか、人に頼るのが下手です。本当はそこまで無理に頑張らなくてもよかったのだと思います。

生前の伯父さんの手の暖かったこと。どんな自分でも受け入れてくれていたこと。私も伯父さんにもっと甘えてもよかったんだなと思いました。もっと色んな話を聞きたかったです。

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by tamitamix | 2016-07-05 23:03  

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