韓国語と反日

先日、韓国語は日本語を韓国語読みしただけ、
現代韓国語を使う限り反日は無くならないだろう、とチラッと聞きました。


学術的に調べたわけではないので、あれなんですけども
自分なりに考えました。

韓国語は実際に挨拶だと

ありがとうございます
(感謝 いたします)
カムサ ハムニダ

こんにちは
(安寧でいらしゃいますか?)
アンニョン ハシムニカ?

みたいな。

読みは韓国語なのですが、日本語の言い回しと似てます。

他にも、漢語で日本語と似たものが、初心者にもわかるほどたくさんあります。

もともと百済などが日本で、白村江の戦いで派兵したとも言われているので
日本語と韓国語の文法が似ているのはあり得るのでしょうけど
(実はカザフスタンも語順は日本語に似てたりします)

そういう自然発生的なものは置いておいて

統治時代に教育した韓国語とは、
もしかして日本語の表現を取り入れた新しい韓国語だったのではないかと
先ほどの話を聞いて思い至ったのです。


宣教師が南の島の文化や言語などのルーツをカニバリズムとともに
根こそぎ破壊したことがありました。

中南米でも生贄を捧げていたせいなのかどうかはわかりませんが、
根こそぎ無くなっています。

(宣教師の個人差によりポリネシアなどはルーツや文化が残ってる島々もあります。
そこの現地の人たちは、再教育化される前のネイティブアメリカン同様、
口伝で10世代くらいは簡単に遡れるそうです。)

ルーツを失って、伝統的な風習、言葉、身のこなし、食べ物を失くした民族は
悲惨です。

自分たちの遺伝子に組み込まれた、何世代にもわたり伝わってきた
何ものかを良しとする気持ち。

自然を見て畏怖を感じ、和合の精神を重んじる傾向のある民族だったとしても
それらを表現する言葉がなくなると、モヤッとするだけ。

なぜ惹かれるのか、理由もわからない。

思い出そうにも思い出すこともできず、誇りに思っていたものも、
新しい西洋の文化の基準とは全く折り合わないので、何かしっくりこない。

食べ物も、体質に合わずに肥満になる。


と、統治時代の朝鮮ではそこまで酷いことがあったわけではないでしょうし
殺しこそないものの、何かあったんじゃないかな、と考えるのも
自然で普通な成り行きだと思ったのでした。

当時の韓国は両班を除くと、庶民は掘っ建て小屋に住んでそうで、
字も読めず、貧困だろうし
そうしたら教育を一生懸命せねばと日本人なら思うと思います。


教育こそ善ですが、
当時は押し付けがましくてもそれ自体がよくわからない時代だったようなので、
日本語と韓国語は語順も似ているので、この挨拶はこう言いましょう、なんて
学校教育で言い換えがあったのではないだろうかと思うのです。


ありがとう、も、感謝します、ではなく、謝謝を使ってたんではないでしょうか。

道徳、教育勅語も、天皇陛下も日本人の魂にはピンと来るかもしれませんが
韓国人だと異なる倫理観と神様と君主がいてこだわりがあったのかもしれません。
万世一系で遺伝的に関係があるのも日本人だけですし、太平洋に真っ先に日が昇るのや、
富士山は日本一美しい描写とか
それを教え込まれても、もしかしたら悔しかった人もいるのでは。。。

そういうのを再教育化すると、パワハラでしょう。

実際はどうだったのかは、わかりませんが。

当時を楽しかったというご老人もいるようですし。



集団として、また国としての韓国は、
色々と騙したりとか裏切ったりとか、よくあることのようで
主張はにわかに信じがたいのですが
統治時代に無理やり言葉を奪われた、というのも、誇張が99%くらいだったとしても
あながち嘘ではないのかもしれません。


しかし、元に戻そうにも、
韓国は先祖の時代に自ら刺々しい文字に変えてしまい
漢字を手放してしまったので、
本当に昔から使われていた韓国語が何か
一般人では調査できないのではないかと思います。


無理やり作った表音文字のみでは
表現できる概念も限られて難しいはずです。

そのため、何世代ののちには深い意味が消え去ってしまい、
思考が途中で完成することなく
感情的になってしまったのではないかと思うのです。


フランス語は音が同じでも字面が違うので、読めばわかりますし、
日本語も文字が各種使用されるため、書かれた時に多層的に意味を表すことができます。

日本語でも面倒くさいからカタカナだけにするとかたまに案が出ますが、
そうした時が韓国同様、過去とのルーツを失い、
文明が緩やかに終わっていく時だと思います。


さて、韓国では文字が変わってからの文章しか遡ることができないとなると、
半島で完成度の高い美しい工芸品を作っていた時代の文章は漢字だと思いますし
自国の偉業が読めないわけです。
(日本と違って他の民族になっているかもしれませんが)

反日教育なんてしておらずに
とにかく韓国は漢字の学習を復活させるべきなんだと思います。
日本に来てから自分の名前を漢字で初めて見たとか、そんな教育をしている場合ではありません。

自国の姿を知るための教育はするべきです。

漢字が読めて元の韓国語が復活すれば、自国の歴史も読めて、検証もでき、
感情的な反日ではなく、客観的に統治時代に何が起きたのか、
メリット、デメリットをちゃんと説明できる人たちが出てくるのではないでしょうか。

そうしたら韓国の、誇張ではない
微細な点がわかり、真の友好が始まると思いますが、楽観的でしょうか。

日本人としても、統治時代に何が行われていたのかは、反日の煩さに負けずに
針の先のように細やかな部分もフェアに見ていかないといけないのではと思いました。

相手はフェアでなくても。


だって教育受けられて文字書けるようになったでしょ、とか、
選挙権あったでしょ、とか、インフラ整ったでしょ、という
ゴリ押しは、マッキーで全てを黒く塗りつぶすようで、
出来事を見落としやすくなって良くないかなと
思ったのでした。


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# by tamitamix | 2017-03-05 07:23 | Comments(0)  

空に浮かぶ月を愛でること

松濤美術館の月の展示に行ってきました。
チケットをもらったからで、渋谷で月の絵なんて、
若者狙いの緩いものかと思ってたんで普段なら行かないところでしたが、蓋を開けてビックリでした。

まず広重の空に浮かぶ月と、銀色に照らし出される日常の風景などに胸を打たれました。

(ちなみにその時代に夜の光を描いた絵はそうなかったはず。夜警くらい?ゴッホは浮世絵を見てから夜のレストランを描いたはずです)

月を見るのは人類として普遍的なことで、300年くらい前だと風習も感性も
現代人の好みとそう変わらないので(実は奈良時代だって、もっと前だってそんなに変わらないらしいけど)
江戸時代の人にも、月夜の美しさを心に沁み込ませ、
それを絵で買い求め、
家に置いて眺めて愛でる人がいたことにも、胸を打たれ泣きました。

子供の時に見た月のように、澄んでいてワクワクするような、それでいて少し距離を感じる透明な美しい光。
昔の人たちは、大人になっても、風光明媚な松島の自然のように、楽しんでいたに違いないのです。

でなければ、わざわざ浮世絵として描いて売ってたりなどしないでしょうから。



平安時代のものや琳派のような屏風の銀の月は、すでに酸化して真っ黒でしたが、
銀色の光が辺りを照らし出す魔法の国のようなパリッとしてシーンとした清かな景色を想像しました。

平安の頃も、万葉集の頃も
日本に於いては、銀の月の淡い光を、
ほんの少しの郷愁と畏敬の気持ちを持って、遠くの人に想いを馳せながら眺めていた、としか思えない作品群。

遠い昔の人々も、異国の人々も、現代の人たちも、同じように月を見ていることがありありと感じられました。

時空を超え、人類として普遍的な行為をテーマにすることで
価値観や人生経験が多様な人たちが想いを共有でき、目に見える形で作品がのこっていることで、客観的な物質を通して分かり合えることはとてもいいことだと思いました。

時代を超えたみんなが同じ気持ちを持っていたことがわかり、同じ気持ちを分かつことができることができる。
そして、自然がその素晴らしさを与え続けてくれていることがありありと感じられる。本当に素晴らしい企画展でした。


ところでススキの描き方って、ススキの成熟具合で筆の入れ方が違うみたいです。
私が見た展示の絵のは、まだ出来たてのススキで、枯れ尾花ではなかったのだと、
ススキの画像を検索して気付いたので。全然葉のつき方が違う。
昔の人はすごい観察力と描写力というのか、抽象化するデザイン力というのか。
年をとって色々見えてくるものもあり、本当に得るものの多い展覧会でした。
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# by tamitamix | 2016-11-11 22:16 | Comments(0)  

日本人たらしめるもの

狼と育った少女は、8歳で人間と暮らし始めるが、結局、人間的な生活を完全に真似ることが出来ず、あまり喋れるようにならず、数年後に亡くなる

遺伝的には人間なのだが、育つ環境により人間はどうにでも変わるのだろう


その国の人であるには、そこの言語が母語であることが大切だとよく言われる

それはただ言葉を機械的に真似ることが出来るからではなく、森羅万象から言語として成立させた現象を選んできた先人達の意識そのものを自然に取り入れていくからだと思う

他言語から日本語に翻訳された日本語で学ぶと、おそらくニュアンスは伝わらない人に育つ

帰国子女達が、空気を読めたとしても、日本語の文脈での反応の仕方と言語表現が違うために、孤立していく可能性や自殺する可能性が高いということは、研究されて警鐘が鳴らされている

言語の習得というのは、背景にある文化の習得と文化をすでに習得済みの人達がいる環境にあってこそ可能なものである

人間はどのようにでも育つがゆえに、古典をトレースすることが、人間となり、ある国の人になるために大切な習慣になっていく

昭和まで親しまれてきたはずの万葉集などを読む人はすっかりいなくなった

先人が日本人として発露し保持してきた意識が文章を通してわかるのが古典だが、アクセスするツールである言語習得は軽んじられていると思う

戦前でさえ、源氏物語や平家物語を小学生が暗唱していたのだから


古典から先人の意識にアクセスするだけではなく、日常的な伝統行事も繰り返し体験していくことで、同様に、その人が何人であるかが身体に染み込まれていく

先人の喜びや楽しみ、大切にしたものなど、行事が形成されてきた意識を汲み取ることで、異なる世代により、代々、同じ文脈で使われてきた語彙と心情とともに、日本人としてのあり方がわかってくる

いまの団塊の世代が日本人としての故郷の文化を全てインストールしているとは思わない

なぜなら大正時代からすでに新しいものを煽り伝統から切り離して自由を若者にすすめるマスコミ報道があったからだ

ただ戦前の世代を知る最後の世代がいなくなる前に、日本人という財産を受け継いでいかなくてはいけないのではないだろうか

それがなくなったあとは、中国や韓国と同じく、祖国とは異なる民族としてただ同じ発音と文法の言葉を使うだけの根無し草になるだろう

意外とアメリカは建国前にさかのぼり、移民の元の国の家系図まで作っている人達がいる。建国した歴史の一ページに先祖がいることを誇りに思ったりしている人が多い

日本人は240年さかのぼれる人はどれくらいいるだろうか


かく言う自分は万葉集なんて読めもせず、お月見は幼稚園の行事と小学生の時に一度しただけだ

どうやらお団子とさつまいもを縁側に供えるらしい

お供え物はお団子にさつまいもだそうだ

子供が縁側にこっそり取りに行ってたらしいが、それはお約束なのだろうか


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# by tamitamix | 2016-10-25 08:33 | Comments(0)  

最近きになること

先日の犬ですが、もしかしたら飼い主がでかいもんだから、ポケゴーする人とぶつかったことがあったのかもしれない。

だから犬としては、人とすれ違うたびに吠え、

注意喚起してあげてるんだワン!パパがぶつかって危ないしガルルルル!

と思っているのではないか、とふと思ったのでした。


(注:実際には唸りません)


犬や猫も実は理由があって行動しているので。

誰にでもあそこまで吠えるのに、二回目は吠えなかった理由が他に見当たらない。

姿が見えない犬と話したことはないので、あの犬ならそう言いそうな予感はしつつも、本当のところはわかりませんが。



ところで最近気になっていることがあり、箇条書きにでもしてモヤモヤを晴らそうかと思います。


・テレ朝の番組で気になるものが。

普段テレビを見ないので番組名さえ定かではないのですが、例えば緑茶をどうブレンドするか、どう製造するか、など、茶つみやスプリンクラーの形状、日本の技術や工場内部まで詳細をひけらかし、海外から呼んだその分野の専門の経営者など、この場合はお茶の工場等を経営する外人を何人か連れてきて、日本と自国の違いを述べさせて、日本のこだわりはすごい、日本人は素晴らしいと外人に言わせるものがあるのです。

二回くらい見たけど、あそこまで工場内の工程すべてを撮影し、同業の専門家にさらし続ける番組は他にないと思います。そして海外の専門家にそれを見せてしまっていること。あと5年もすれば、海外で日本の工場やアイデアを反映させ進化したものが出来上がり、日本の首を絞めることになると思われます。

テレ朝だし。撮影禁止の場所でもカメラを回しっぱなしにしてるんではなかろうか。そのコンテンツはかの国に売ってるんではなかろうか。と疑念が後を絶ちません。

こないだディスカバリーチャンネルだったかBBCだったかで、ロールスロイスやフェラーリの作成過程のドキュメンタリーを見ましたが、対象は異なるものの、そこまで内部の機材やものの配置、構造が分かるようなものは撮影されてなかったんですよね。

あの日本人の自尊心をくすぐるように見せかけて、業界先端技術も盗まれかねない作りの番組とは大違いでした。



・アマゾンや楽天の出店者に関して

どこに頼もうかな、と、幾つか会社概要を見ると、店名が違っても同じ住所だったり、同じ代表者だったりするところが結構あります。そして代表の名前がなかったり、片方は日本人で片方は金さんとか、一方には日本人の名前しかなかったりとか。

ネットショップで、元は同じ住所で同じ人がやっている店なのに、店名が幾つかあり、同じ製品を違う値段で何個も売り出しているように見せかける。これは何かメリットがあるのでしょうか。

飲食店だと1年か何年か以内に、経営者だったか屋号が変わると、倒産で税金控除のような何か優遇されるので、登記というのか?それと削除などを何度も繰り返し、交代し続けるようなところもあるみたいですが。

売り買いした所得税とかどうなっているのか、何が起きているのか、気になります。


というのも、新品頼んだのに、全然違う経営者の店なのに、二回とも開封済みのおかしいものが届いたし、ネットショップ、どんなルートで品物が来てどんな場所に保管されているのか、疑問が。

ネカフェでも物品と倉庫があればどうにかなりますもんね。ちゃんとしたものが届くならまだしも。ちゃんとしたインフラなくてもできる商売なので、小さなところから始めるにはいいんだと思いますが、所得隠しどころか、もっとやばい人たちが小銭を稼ぐ場所なのではないか、と思ってしまいす。

コントロールされすぎとは思うものの、変な人たちがいる以上(上記のネットショップ経営者が当てはまると決まったわけではなく、一般に)、マイナンバーも期待したいところかな。




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# by tamitamix | 2016-08-27 13:03 | Comments(0)  

とりあえず何でもいいあいつ

たまたま河原を散歩している時だった。
スマホにイヤホンマイクをつなぎ、話しながら歩く。

遠くから、ムチムチの筋肉を白いノースリーブからはみ出したおっさんが現れた。

その人は多少若い、40代くらいのニコニコしたでかいおっさんだ。

そうなのだ、今いるここは都内ではなかった。

だからつっかけに足を突っ込んで外に出て散歩するようなあられもない
ムチムチな格好でも許されるのだ。

横にはグレーのシュナウザーのようなものが。
しかし品種はあまり詳しくないので追及しないことにする。

そしてすれ違うために彼らが近寄ってきた時、
そいつはものすごい勢いとものすごい声量で吠えてきた。
シュナウザーの方だ。おっさんではない。

いや、私、悪い事してないですし。何??

と、思いつつ、ビビりながら眺める。

こちらを見ながら、ずっと吠え続ける奴。


とりあえずムチムチな飼い主が通り過ぎるのを待つ。


・・・はあ〜、遠くに行った。
うるさかった。
いやはや。


しかし、なぜ奴は突然吠えたのか?


その後、数分して思い当たる節に思い当たったのだった。


そういえば、私、巨体の飼い主にこっち来るな、と絶賛、
敵意を飛ばしていなかったか?
ムチムチの飼い主は降り出したばかりの小雨にますます
白い布がピタピタとなってしまう。
まじ近寄るな、と思っていなかったか?と。

ほんの一瞬の瞬きする暇さえない時間のこと。

奴は飼い主に危害を加えそうなやつは容赦せん、という犬の中の鏡のような
奴だったのかもしれない。

さすが犬。


以前も、依存性にしか見えない媚びた不恰好なマルチーズに
0.07秒ほど悪態をついたことがあり、
すっかり忘れて挨拶をしれっとしていた数秒後、
ものすごく吠えられたことがあったのだった。

たとえ一瞬だろうが、犬は見逃さない。
さすが動物。反応が速いのだ。


(このようなことを書くと動物を相手に非常な迫害者に思われそうだが
自分でもなぜ白いマルチーズがやたらに嫌なのか探ったことがある。

記憶を辿ると、
幼稚園の時に遊びに行っていた知人宅の多頭飼いのマルチーズが汚くて
非常に臭いオスで、遊びで飛びかかってくるという非道な奴だったのだ。
園児には重いのなんのって。

思い出したのはここ1、2年くらいだが、すっかり忘れ去っているような原体験が
大人になった今、出会う白いもじゃもじゃへの警戒心につながる。)


で、ここで終われば簡潔な話で済んだものの、そうではなかった。

遠目に川沿いのシュナイザーな奴を見ながらそう思っていたのもつかの間、
向こうですれ違う白髪混じりのご婦人にも、奴は吠えていた。


誰でもいいのか、お前!

とりあえず威嚇しておけばいいと思っているのか!


と、私が遠くで思っていることもつゆ知らず。


そしてしばし川を眺めながら電話をしていると、
奴が飼い主とともに戻ってきた。
そんな距離行ってないけど、もう戻ってきた。

次、どんだけ吠えられるかわかったもんではないので、身構える。

そして、一応話しかける。

(こんにちは。お散歩楽しそうですね。えへへ。)

と、言うまでもなく、奴はニコニコこちらを見上げて
尻尾フリフリ飼い主と去っていくのだった。

なぜ吠えたのか、わからぬまま、今日に至る。


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# by tamitamix | 2016-08-20 22:49 | Comments(0)  

もふもふの乱

通勤途中に、小学生とすれ違うことがある。

いつものじいじは白いポメラニアンを連れ、孫を学校まで送るのが日課だ。

昔は小学生も小さくてランドセルの方が大きく、
もふもふも飛び跳ねるようにキャッキャと喜んでついてきたものだった。

しかし、いい加減それから何年も経ち、もふもふも落ち着いてきた。

そしてこないだは飛ぶ鳥も落としかねないドッグイヤー、
もふもふはついに小学生の年齢に追いつき、追い越したのち、
じいじと同じくらいの年齢になっていたに違いない。

目の周りが赤く印象もぼやけ、顔の部分だけ毛のつやも密度も薄まっていたように見える。
もふもふは老けたのか?それとも病気か?と思っていたころ。


それは先月のものすごい夏日に起きた。

人間でさえ靴を履いている足の裏から熱くなり、ものの5分で干上がりそうなほどだった。

アスファルトが照り返し、あたりが乾燥した空気で白く見える。

息をするのも、熱風でどうかと思う。


もうこれ以上ムリ!


熱さでへろへろになった時、あのもふもふの一行が現れた。

まだもふもふのあたりはビル群の日陰から出て間もない距離で
刺さるような日差しはものすごく暑かったとはいえ、

累計時間的にそんなでもなかったが
やはり熱いと言わざるをえない天候だった。


(この先の灼熱地獄が延々と5分以上は続くことを、もふもふ、お前は知っているのか。

ああ、私はもうそんな照り返しマックスの砂漠みたいなところへは戻れない。

お前の足もそのもふもふした毛先も耐えられないだろう。)


いま通ってきた熱せられたアスファルトの長い道が脳裏に広がった。

もふもふ達が小学校にたどり着くまで道路のこちら側に日陰はないのだ。


そして、数メートル先のもふもふとしかと目が合ったのは、熱々な道を思い出していた時だったと思う。
もふもふは、私が眼の前まで来た時、こちらにしかと頷いて、
のち、じいじを見て突然止まった。

この何年間で、止まる姿は初めて見た。

引っ張られるリード。


いや、わかるよ。

いい加減、足が熱いから止まりたかったのだ。しかもこの先は砂漠だ。


一方じいじは何にもわかってないようだった。

孫は数歩先を歩いていた。


「じいじ、もふもふは熱いって言ってますよ、この先はすごい熱いですから。」

もふもふの代弁をする。


しかしじいじは、思っていたよりもお年を召していたのか、受け答えがめちゃくちゃだった。


「イヤだって言ってますよ。多分。足がヤケドしますよ。」

「これ以上進むとかわいそうですよ」


隣に通りかかったおばさんが、そうよお、熱いから、かわいそうよね〜。と、独り言つ。

コミュニケーションは成立せず、
じいじはもふもふが熱いと思ってるなんて露とも思わず
前に進んで行こうとしていた。



(もふもふ、これ以上、私は口出しできん。お前の飼い主はじいじだからな。)


じいじにはもふもふが抱っこできるのかも定かでなかった。
これ以上はご迷惑かもしれない、と一応考える。

無事を祈るばかり。

その後、もふもふの姿を見ることはなかった。


まさか、もふもふに何かあったのか、むしろじいじに何か?と思い始めた頃、あの日が夏休みに入る直前の学期末の日だったと知った。

学校が始まり、涼しくなったらまたもふもふ3人衆とすれ違うだろうか。

じいじは変わらず元気で散歩しにくるだろうか。

孫がもう自分は大きいんだからついてこないでよね、って容赦なく切り捨てるだろうか。


この夏、もふもふ達はブーツは必要か、履いたら擦れたりムレたりしないか、少しだけ考えるのだった。


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# by tamitamix | 2016-08-10 08:32 | Comments(0)  

薬と夢見

これを書いていたのは1月も前ですがアップしてみる。もうすぐ49日です。


先日、伯父のことを書いているうちに様々思い出し、通勤電車でも涙が溢れて途中下車などしていたのですが、書くことで癒されたのか、泣いて癒されたのか、次の日からは結構平気になりました。

悲しいことは悲しいけど、楽しんで出来ることをして、生きるべし。


ところで、先月半ばは酷い風邪で熱を出し、仕事を休んでも咳が何日も止まらなかったので、何年かぶりに病院にかかりました。

もらったのは、抗生物質、咳止め、炎症やアレルギーを抑えるもの。

薬を飲むと確かに効くので喉の炎症や痛みが軽減しました。久しぶりに長く眠れましたし、明け方までほぼ眠れず喉がもぎれるかと思うくらい咳をしてたのが収まって、声が元に戻りました。

が、しかし、

薬を飲んでいる時の夢は、ずっと起きてる時に話をしているのと同じような脳の使い方をしてるみたいでした。

寝言も言ってたのではないかくらいに、リアルに会社の人と会話してたり、お買い物していて店員と話してたり、道に迷ってスマホを見たりするような、普段と変わらない夢でした。何か起きてストレスを感じている。笑

呼吸も浅かったのかもしれません。


その前までいつも見ていた夢は、人と話していても風景がものすごく綺麗だったりして、地球とは違う世界にいる感じでした。そこの世界にはそこの世界の社会や常識があり、そこにもともと住んでる設定のようで、当たり前にすべてを受け止めて生活をしているようです。場所というのか、国なのか、次元なのか、惑星というのか、わかりませんが、同じでも違ったとしても、自分はそこの住人として、何かをしているのでした。

会話なども心に染み渡るような印象を受けとっていました。

目覚めて、心に心地よいものがじんわりと広がっています。清涼な水で満たされたような。生命の根源でたくさんの存在とつながっている時に感じる、大くて暖かな印象でした。

で、なぜ過去形なのかというと、その後、薬を飲んでからそういう異次元の美しい夢の記憶がないからなのです。

炎症を抑える薬はアレルギーにも効くらしく、眠くなったりするとのことで、血管を収縮させるものだったと思います。血管を収縮させるということは、酸素や電解質が行き渡らなくなることなので、神経とか毛細血管とか脳も、微細な部分が少し変わってしまったのかしら。最近は運動もしないから、回復に少し時間がかかっているのかもしれません。


さて、これを書きかけてからその後、1か月たち、運動もたまにして、どうなったかというと、起きてる時の感覚は鈍ってないようです。寝てる時は、どうかな。あんまり夢を気にしなくなったのもあるし、環境が変わったので深く寝てないのかもしれない。しょっちゅう空を見上げると、きっと違うんだろうな。といったところです。


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# by tamitamix | 2016-08-03 21:19 | Comments(0)  

伯父のこと

先日、伯父が亡くなりました。思い返せば亡くなった翌朝、私の寝ている隣の部屋で人の気配がしていました。とても暖かい雰囲気で、ずいぶん長くいたので、家人かと思ったのですが(もしくは私が風邪で何日にもわたり夜中に何時間も咳をしているのを心配して家人の霊体がついに抜け出て隣の部屋に居座ってしまったのか、と)、家人はその頃、寝ていたそうなので、誰だったのだろうと思っていました。全然怖くなくて、本当に、春の日のお日様の暖かさのようでした。ずっと見守っててくれました。

亡くなる前日には、私は出張の準備をしていて、あ、伯父さんに会いに行かなきゃ、と思ったのでした。会えなくなっちゃう、7月の休みはこうだから、と、頭を巡りました。一瞬思ったその微細な感覚が、もっと言語化出来ていたら、と思います。

でも、伯父さんが来てくれたのがわかったので、その辺は、祖母の時に勝手に足が祖母の家の路線に向かうなどして呼ばれていたのにそれを気のせいだ、疲れているに違いない、と無視してしまっていた自分よりも、よかったなと思います。それでも会いに行かなかったのが悔やまれますが。

その後もなんとなく暖かい雰囲気がして、伯父さんが来てるのかなと思ってました。その魂の暖かさの前には、どのような言葉も不要でした。何かものを考えることは、その瞬間から幻影でしかないのです。魂の存在する次元は愛というのか、その本質以外は、思考という名のチリかホコリが積もっているに過ぎないのだと実感しました。

伯父さんとは楽しい思い出ばかりです。もう感謝しかありません。神保町の神田村なんたら亭といったか、戦前あたりに中国で本屋をやってたオヤジさんが店主だった赤提灯の飲み屋の話とか(その頃は焼酎が飲めなかったので、お店が開いてたのは見たのですが行けませんでした。この間みたときは、もう看板や提灯は見当たりませんでした。)、目黒の周恩来などの来ていた中華のお店や、そこに行く前に寄るのだけどなぜか伯父さんと通りかかる時は閉まっているとんかつとんき(改装前の話です)とか、世界中の誰もが今でも愛してやまないとあるおもちゃにまつわる仕事の話とか、何を思い出しても楽しくて、仕方ないです。お話が面白くて優しくて心地よく、広く人に好かれる伯父さんだったのだと改めて離れて見てみることでわかりました。


伯父さんは仏みたいな寝顔でした。伯父さんならばきっと安らかであろうと楽しみでしたが、その通りだったので安心しました。そしてやはり来てくれたのは伯父さんだったと確信を持ちました。お通夜の時は伯父さんは古い知り合いがたくさん来てくれるとますます感謝しているようで、より一層、あたりが輝いて暖かくなるのでした。

翌日の9日目は告別式でしたが、もうどこかに行ってしまったのか、私がお酒を飲み過ぎてわかんなくなったのかはわかりませんが、気配がしませんでした。お経が何か影響あるのか、この世で自由に行き来できるタイムリミットが来たのか、私が知覚できる粒子よりも微細な波長の存在になってしまったからなのか、そこまではわかりませんでした。

父と伯母と昔住んでいたという場所を少し歩きました。よく遊んだという高台の神社なども行きました(伯母は、お兄ちゃんの後なのに、神様いいかしら、ごめんなさい、と呟いていました。喪中に神社に行ってはいけないことをつい最近知った私でしたが、戦前の教育はちゃんと一般の少女に至るまで霊的な面も行き届いていたのだと、ハッと驚きました。ちなみに伯母達は言葉に関しても、言霊とは言わなかったものの、悪い言葉は使ってはいけない、自分に返ってくるから、と、周りの大人達から強く言われて育ったようです。)。その神社や遊び場だった高台は、今では周りにビルが建ってしまいましたが、かつては東京の街が一望でき、空襲の時も遠い空が赤くなって爆撃されているのが見えたそうです。

5人兄弟の末っ子だった父はどうやら様々な人から愛されていたようで、父の母方の親戚や、ご近所だった皇族のおばちゃまから養子に来ないかと言われていたようでした。父方の祖母は入院した晩年には小学生だった従兄弟を父と間違えていたようですが、小さかった頃の印象が強かったのだと思います。

祖父が早く亡くなってしまったため中学生で家長になった伯父でしたが、そんな父を伯父はとても可愛がってくれていたのが今回よくわかりました。

父も戦後の厳しい頃に、自立して頑張らねばと幼い頃に強く思ったのか、人に頼るのが下手です。本当はそこまで無理に頑張らなくてもよかったのだと思います。

生前の伯父さんの手の暖かったこと。どんな自分でも受け入れてくれていたこと。私も伯父さんにもっと甘えてもよかったんだなと思いました。もっと色んな話を聞きたかったです。

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# by tamitamix | 2016-07-05 23:03 | Comments(0)  

地続きの光

引越して、ノルウェーからやって来た、いただきものの家具を、また自分と一緒に持ってきた。

好きな家具はインテリアの核になる。核になるものがあると、自分の動線も決まってくるし、部屋の雰囲気も決まってくる。そして、自らの生活も、そこで暮らす人物像も、その部屋に馴染み、日々を送ることで、また作られていく。

引越し先に自分の部屋を作っていくことで、自分の雰囲気が、こうも外側に出てしまうものかと驚いた。


曽祖父は産まれる前に他界していたが、祖父がその部屋の雰囲気を残していてくれた。そして祖父の書斎、祖母の部屋の雰囲気、どれも覚えている。

特に祖母の部屋は、昭和初期の白い擦りガラスの照明で、白熱灯がとても柔らかく、陰影もおぼろげで、部屋全体が溶け込むような優しい感じだったのを、突如思い出した。柔らかな赤味のあるオレンジの光と、こげ茶のような影がひと続きとなったベルベットのような夜の落ち着きは、LEDになって失くして来た物のひとつだろう。

だから、いまもその照明のカサを使っているのだった。最初に心の奥で何を考えていたかを、今になって思い出すとは。

付け替えた当時、知らなくて電源につなぐ黒い部分を捨ててしまった。そこはカサにもつながる部分で、いまは新しく違うものがついている。同じようなものがリユース品で出回っているうちに、秋葉原にでも探しに行くべきだろう。



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# by tamitamix | 2016-06-07 03:03 | Comments(0)  

みかく 2

日本の料理文化は丸元よしおさんによると今の90代くらいなのか、お砂糖、みりんなど使う世代で途絶えたらしい。調味料を多用するのは、素材の持ち味をなくす調味法になってしまったからだ、という。

料理も伝統も、繰り返し日常の中にあることで、生き方なり身のこなしなりを自然に身につけて、伝統文化として受け継がれていくものだ。そのカタチを踏襲することで、遺伝的なスイッチが入り、何かを感じ取ることも多いのではなかろうか。

そんなわけで、10年以上言ってきたけど、最近やっと料理を本を見てやってみようかな、と思うようになった。

最近の人の料理もこなれていて素敵なんだけど、調味料とかも昔のものでシンプルなものが好きなので、古き良き時代の日本の料理本を探し、佐藤雅子さんの、私の保存食、とか、私の洋風料理ノート(あ、和食のつもりで買ったけど和食じゃないじゃん、と今さら気づく)を購入した。

そしてマーマレードジャムを作ったところ、シンプルだけど完璧だった。皮を一晩水に漬けることで、ペクチンが溶けるので、固める添加物は不要。皮をよく洗うこともできる。皮の表面についてるとネットにあったので勘違いしていたし、なぜたまにシャバシャバしちゃうのか謎に思っていたものが解決した。分量もビンに3個くらいでちょうどいい。砂糖は1年持たせないなら少なめでも良いかもしれない。

シンプルだけど、王道だ。

他に料理のほうの本を読んでいたら、思い出した。母が同じ本を持ってたことを。肉をたこ糸みたいなのでしばったりしてたとか、色々作ってた。味も思い出した。手間をかけて美味しい料理を作ってくれてたんだとわかり、親はちゃんとしていてありがたいと思った。

子供心に、オレンジや黒の表紙がちょっと古臭いしやだなあと思っていたのも思い出した。(ディズニーやキティー、ミッフィの黒い縁に原色の赤やらオレンジやらの塗られた絵や雑貨も実はどぎつくて好きではなかった。)さらにシリーズ本としてオレンジの次がミドリっていうのも、一緒に並んでいてどうかと思っていた。

でも、シンプルな材料で(つまりは余計な調味料や化学物質フリーで)出来る、明治の人の教えてくれる料理って本当いい。

流行りの味は変化していくものだけど、根本的な美味しさを引き出す料理っていいなと思っている。





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# by tamitamix | 2016-05-06 14:15 | Comments(0)